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トップページ > お知らせ一覧 > 春屋の書について 2020/10/22(木)

春屋の書について
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春屋しゅんおくは大徳寺の名僧で、慶長十六年示寂じじゃくしている。
 高僧の墨蹟には能書が多い。儒者の書には存外能書がない。これは仏教と儒教の影響する現象である。同じ高僧でも鎌倉以上に溯さかのぼっては、いよいよ能書が多い。宗園春屋は慶長であるから、ぼつぼつ高僧の影を没する時期だ。春屋のような天真爛漫な、しかも見識のある書を書くものは、それ以後江月欠伸子、深草の元政、ずっとおくれて良寛があるくらいのものであろう。
 僧侶の書は、宗教から悟りを得た産物ではあるが、それでも僧侶の臭さがあり、型がある。この臭さと型のあるものは、未だ悟り切らざるものといっていい。その中に、前記の名僧たちが悟った、いわゆる臭くない能書を遺していることは、充分注視しなければならない。
 宜うべなる哉かな。已にそれらの能書は、多くある高僧墨蹟の中から特に喧やかましい存在となっている。しかるにそれらの書が、今の書道界に果して喧ましい存在となっているであろうか。遺憾にも世上のいわゆる近代書家なる者は、これらの書に対しては殆ど認識不足であるようだ。いやいや彼等は認識しているつもりであるかも知れない。
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